ども、お悩みモードのモカさんです。
最近とても忙しいのです、頭の中も。
今までのこと、これからのこと、色々考える時期なんでしょうねぇ。
さてさて。
今日はリンゴを見るたびに思い出す話を一つ書こうと思います。
自画自賛になりますが、モカさんは料理がとても上手です。
まぁ、上手って言い方もどうかと思うけどw
裁縫も自分でデザインして服作ったりそれなりにやるし、いわゆる学校の「家庭科」で扱うようなものは、たいがい全部得意です。
小学3生の時、学校で家庭科の授業が始まりました。
(平成生まれの子たちにとっては、家庭科ではなく生活科になるのかな?)
料理実習もあるというので、私はとっても楽しみにしてました。
記念すべき最初の実習授業は、「リンゴの皮むき」。
それ、料理じゃねーだろーと思うけど、ほんと。
つーかそんなこと、学校で教える必要あるわけ?せーの、っでクラス30人一斉にリンゴの皮むいて、なんか意味あるわけ??
と思うけど、当時もそう思ってたけど、まぁ学校ってそういうものだからしょうがない。
私は母が料理するのを手伝うの好きだったし、自信もそれなりにあったけど、「この分野でだけは負けるわけにイカン!」という自尊心も手伝って、数日前から家で練習しておくことにしました。
母に「学校でやるからリンゴの皮むき教えて」と言ったら、「難しい物で練習すれば後が楽だよ」とジャガイモを渡されました(爆)
モカさんは真面目な子なので、毎日せっせとジャガイモの皮をむきました。
(我が家は連日ジャガイモ料理だった。ごめんよ、みんなw)
母は正しかったと、今でも思う。
包丁の扱いにもすっかり慣れたし、ゴツゴツ不揃いなジャガイモ相手でも、するする簡単にむけるようになった。
特に、スピードはぐんぐんのびた。
夕飯時の台所は、ちょっとした戦場だよね(笑)
そんな忙しい時間の忙しい場所でも、パパっと手早く準備できるようになりました。
で、いざ学校へ。
もうね、モカさんは自信満々だったわけ。
包丁さばきなら誰にも負けねーくらいの気合い入れて、特大の美味しいリンゴ持参で、かつてないほど意気揚々と学校へ。
学校って場所は嫌いだったけど、この日ばかりは私がスポットライト浴びる日だと確信してた。
みんなより、何歩も先にいってる自信があった。褒めてもらえるって思ってた。
でね、これが驚いたことに、結果は惨敗。
いや、リンゴの皮むきに勝ったも負けたも本当はないんだけど、気持ち的には完全に惨敗でした。
それもね、ライバルがいたとか、もっと早くて上手な人がいたとか、そういうのではなかった。
まず第一に、用意したリンゴが人のよりでかかった。
当時モカさんはぽっちゃりさんだったので、人より大きい食べ物を持参したというだけで、クラスメートに笑われる格好の的になった。
そして第二に、これが決定打なんだけど、夕飯時の戦場(台所)で来る日も来る日もジャガイモたちと格闘したモカさんには、「手早さは金!」という習慣が染みついてました。
見た目とか、考えたこともなかった。
実習が始まるやいなや、いつも通りササっと見事に皮をむいて、タタっと切り分け、あっという間に目の前に切り分けられたリンゴが並んでました。
後は爪楊枝刺して、シャクシャクっと食べるだけの状態。
教科書だって熟読済みだもの、ちゃんと書いてある通りに切りました。
ところが周囲は・・・まだ全然進んでない。
特に女子は見ていてイライラするくらい几帳面に、ゆーっくりゆーっくり皮をむいてた。
中には、「私刃物怖くて触れなーい!」なんて、か弱さアピールして泣きべそかく子とかも、マンガの世界かと思うけど本当にいた。
私はそんな女の子を見てあきれてしまったけど、そんなぶりっ子(死語?)を見て可愛いと思っちゃう男子も、これまた仰天ものだけど、若干数名いた。アホー。
(万が一、本当に恐怖症とかだったらごめんね。)
でね、皮をむき終えるとみんな定規で測ったかと思うくらい気をつかって、恐ろしいくらい丁寧に切り分け、機械が作ったのかと思うくらいまったく同じ見た目の切り身(?)を作り上げてました。
そして、私が待ちくたびれて暇で暇でしょうがなくて、授業時間もそろそろ終わりという頃、「見て見て~上手でしょう?一回も皮がとぎれなかったよ!」と周囲の男子たちに自慢し始めたのです。
???
あれ、リンゴの皮むきって、皮を何mつなげられるかって競技だったの?
あれー、そっち?そっちのほう?
早さとか、全然関係なかったの??
いざ授業時間が終わってみたら、私が切ったリンゴたちは不揃いで、普段家で食べている大きさに切ったので一口が大きくて、皮も何度かとぎれてた。
かたや他の女子たちのリンゴは完璧にそろっていて、驚くほど一切れが細くて小さくて、一度も切れなかった皮は見本として前に張り出されました。
いかにも、「家庭のリンゴ」と「レストランのリンゴ」って感じ。
リンゴだけど、私のリンゴはデザートというより、土のついたジャガイモだった。
食後に家族団らんで食べるやつだった。
かたやレストランのリンゴたちは、ナイフとフォークで食べなきゃいけないようなやつ。
当然男子たち&教師は「レストランのリンゴ」を作り上げた女子たちに「家庭的で可愛い女の子」という称号を捧げたのでした。
・・・
・・・
挫折・・・。
絶対負けない自信があった競技なのに、ルールブックを読んでなかったせいで負けたっていう気分。
すっごい練習してスピードスケートのリンクに立ったら、他のみんなはフィギュアの衣装着てスピン回ってた、みたいな。
なんだよ、私だってヒラヒラのフィギュアスケートの衣装の方が着たかったよ!って後になって叫びたくなるような。
気張って用意したいつもより高級なリンゴは、蜜がたっぷりで間違いなく美味しかった。
でも、涙をこらえてたのでその日のリンゴはしょっぱかった。
その後も家庭科の授業はそんな調子で散々な結果が続き、私はすっかり家庭科嫌いに。
ちなみに2回目の調理実習のテーマは「ゆで卵」で(苦笑)、
我が家は普段から卵にはこだわりをもって選んでたので、いつも通りの赤くて美味しい有精卵を用意した私は、「白くない卵を持ってきた(スーパーやコンビニのは白い卵ばかりで、赤い卵を知らない子がほとんどたった)」ことで他の生徒たちの笑い者にされました。
教科書に書いてあるのとピッタリ同じ時間で茹でなきゃダメだと言われ、人の卵より一回り大きかった私の卵は半熟に。
包丁で切ればいいのに、ゆで卵スライサー(?)なるもので等分に切らなきゃダメだと言われ、切ろうとしたら半熟卵はぐちゃっと潰れて惨敗。
ま、一事が万事こんな調子だから、得意なはずなのに、成績も全然奮わなかった。
いつも人一倍準備して努力してたのに、学校の家庭科では誰も褒めてくれなかった。
そんな家庭科の授業のことが、いつまでも抜けないトゲのように私のどっかに刺さったままになってました。
大人になって、毎日料理するようになって、誰もが認める美味しいものを毎日作るようになって、自分だけのためじゃなく人のために料理するようになってからも、ずっと。
ほんと、今から考えると笑っちゃう話なんだけどね。
で、イタリアで暮らすようになって、ある日友人カップルがうちに来て、彼女が誇らしげに「私の彼ってば料理は全然しないんだけど、リンゴむくのはすっごく上手いのよ!むいてもらおうっ」とリンゴを彼氏に渡しました。
で、 !!!!
ビックリした。
彼氏くん、リンゴの皮をむく前にいきなりスパっとリンゴを縦に二等分しちゃったんですね。
スパっと。
私の通った小学校の家庭科なら、この時点で落第点ですよ。
その後も4等分、8等分と切り分けてから、シャクシャクっと一つずつ皮をむいて、「ハイ」と差し出された。
非常に合理的。早い。
皮を何mとか、どれだけ薄くむくかとか、どれだけ丁寧に等分するかとか、そんな概念ここには存在してなかった。
その後も他のイタリア人のリンゴの切り方を何度も見てきましたが、それぞれ個性的で、日本式の皮むきの仕方をした人は1人もいませんでした。
自分と違うやり方の人を見ても、「そんなやり方間違ってるよ!」って言う人も1人もいなかった。
「教科書通りにしなさい!」って言う人もいなかった。
そうです。リンゴはね、食べられればいいんだよ。
そんな簡単なことに、なんで自信が持てなかったんだろう?
あーやっと、学校の家庭科に刺されたトゲが抜けるかもって思った。その時。
そして、あぁ私、この先どうなるかわからないし、いつまでイタリア在住かはわからないけど、とりあえず一回は海外に暮らしてみて良かったって心から思った。
別にね、イタリア式リンゴの皮むきの方が良い、という話ではないのです。
日本式でも、もちろん良い。
そもそもそんなことに、良いも悪いも、ない。
イタリア人の方が視野が広いとか、そういう話でもないです。
ただね、「当たり前」だと思ってたことだって、いったん外に出てしまったら「当たり前」ではないこともあるって、その時気づけたんですね。
「当たり前」がちゃんとできなくて、落ちこぼれたような気持ちになって、勝負でもないのに勝手に負けたと思い込んでた。
お母さんと一緒にジャガイモで何度も練習して、今でも台所に立てば手早く美味しいものを作ることができる、それが私の財産なのに。
教科書の言うことは正しい、先生の言うことは正しい、クラスのみんなの言うことは多数決で多い方が正しい。
なんとなくそう思っていて、不格好なリンゴに自信が持てなかった。
でもその時「正しい」と思ったことは、他の国に行けば「正しい」とは限らない。
一般的に常識だと思われていることも、他の場所では非常識かもしれない。
そもそも、負けたと思ったから妙に気にしていたけれど、そんなに重要なことだったかどうか・・・。
いや、冷静に考えれば、どうでもいいことだったよね、明らかに(笑)
でもクラスメートに笑われたことで、すごく重たくて重要なことになっちゃった、私の中で。
言葉にすれば「そんなの当たり前じゃん」って思えることなんだけど、イタリアでリンゴの皮むきを見るまで、実感として理解できなかったんです。
まさに、ニュートンのリンゴ。
ずっと考えてたことの答えが、リンゴのおかげでスッと理解できた感じでした。
正直ね、家庭科の授業に限らず、私が小・中・高を過ごした環境は、頭が固くて個性を潰すことに必死で、当時からものすごく窮屈だったんだけどね。
こんなの気にすることじゃない、自分は間違ってないって頭では理解できてても、その中にいる真っ最中は周囲と馴染めないのはやっぱりツライ。
人と違うってだけでいじめられたり、避けられたり。
学校と名がつく場所とは最後まで相性悪くて、散々やり合ったもんです(苦笑)
大学に入ったら周りもみんな個性派だったので、俄然楽しくなりましたが。
もし今、小学生の私と会うことができたら、「大丈夫、気にしなくていいよ」って言って、イタリアで見たリンゴのむき方の話をしてあげたいです。
日本の、その地域の、その学校の、そのクラスの標準である必要なんて、ぜーんぜん無かったよって。
君は将来、世界を見に行くんだからねって。
もっと大事なことは他に沢山あって、リンゴの皮なんかどうだっていいんだよって。
ま、子供の頃、周りから浮きまくっていたことで培われた根性が、異国で外国人として生きる今に繋がってるのかもしれないから、何が人生でプラスに働くかはわからないけども。
あ、そうだ、勘違いされたくないので念のため書くと、イタリアの方が個性を受け入れる土壌があるとか、イタリアに居た方が回りから浮かないとか、そういうことを言いたいのではありません。
それがどこでも、異国で外国人として生きるということは、多かれ少なかれ日本に居る何倍も周りからは浮くということです。
そりゃ、ド根性がいる生活です。楽な道とは言わない。
けど、私のどこかに刺さったトゲを抜くにはイタリアで暮らす必要があったんだから、これでいいのです。
今自分がいる環境の外から見てみたら、気が軽くなることって、案外沢山あるかもしれない。
結論。
リンゴはね、美味しく食べられればそれでいいんだよ、やっぱり(笑)
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lucy (金曜日, 05 10月 2012 06:08)
とてもいいお話ですね。
固定観念ってなかなか払拭できないですよね。
周りの考え方もそうですが、自分が育ってきた環境の中で植えつけられた考え方ってなかなか変えることができないですよね。
いわゆる頑固ってやつですね。
周りの意見を素直に受け入れられたら楽なときもあるんですよね。
まー正しい答えがひとつとは限らないので自分でもがき苦しんで出した結論(答え)ならいいですよね♪
佐藤モカ (金曜日, 19 10月 2012 14:12)
Lucyさん
コメントありがとうございます♪
そうそう、育ってきた環境の中で「当たり前」だったことって、なかなか変なだなーと気づけないものです。
自分で考えて、自分で答えを出す習慣、忘れたくないものです。