死にゆく街・・・チビタ。

ここは秘境、と呼んでもいいでしょう。続きを読むをクリック!
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「死にゆく街」という、悲しくも惹かれる異名を取る村があります。

チビタ・ディ・バニョレッジョ・・・。

前にオルビエートの記事を書いた時に、「次回紹介します」と書いていたやつです。

 

先日、お客様のアテンドでこのチビタを再訪しました。

トスカーナ州やウンブリア州の見所を訪れたいというお客様のリクエストに応えて、アレッツォをご案内したあとオルビエートに一泊し、翌日このチビタ観光という日程を組みました。

チビタにはオルビエートからバスが出ており、日帰りできる距離にあります。

 

 

看板にもちゃんと、「死にゆく街」という記述が。
看板にもちゃんと、「死にゆく街」という記述が。
何度見ても圧倒される景色。
何度見ても圧倒される景色。

私は初イタリア旅行の時から通算して、もう4~5回ほどこの土地を訪れています。

でも、何度来ても、村が見えて来た時にはハっとする。

本当に驚くような、不思議な、信じられない光景です。

 

村が、空に浮いてる・・・。

 

天空の城ラピュタのモデルになったと言われているのも、納得の光景です。

 

何度チャレンジしても、このすごさを写真で表現することができません。

実物はもっと数千倍もびっくりするような景色なんです!!

 

これぞまさしく、天空の街。
これぞまさしく、天空の街。

チビタはかつて、もっとずっと大きな街でした。

オルビエートのような大きな丘上都市だった、と村の人は言います。

それがある日大規模な地震が起き、中央部を残して周囲が谷底へと崩れ落ちてしまった。

この切り立った崖は、こうして生まれました。

 

村と、他の土地とを繋ぐのは細い一本の橋一つ。

チビタに行くには、この橋を歩いて登る以外に道はありません。

橋が細いため、車は通行禁止。

村人たちはスクーターで食料の買い出しに出かけます。

かつはスクーターなんてありませんでしたから、村へと物資を運ぶのはもっぱらロバさんの仕事だったとか。

 

まさに下界から切り離された、天空の街。

 

橋の傾斜、わかってもらえるでしょうか?結構急なんです。
橋の傾斜、わかってもらえるでしょうか?結構急なんです。
橋の下や周囲は、こんな緑の渓谷。
橋の下や周囲は、こんな緑の渓谷。

周囲はこんな大自然。

「秘境」という言葉がこれほどぴったりする村を、イタリアでは他に知りません。

緑が多いせいか、山の景色がそうさせるのか、土地のエネルギーのようなものをヒシヒシと感じます。

 

チビタの起源はエトルスキ人が作った村だったと言われていますから、すでに紀元前にはこの場所になんらかの集落があったはずです。

 

あ、余談ですがエトルスキ人とはイタリアの考古学を知る上では決して欠かせない重要な存在。

かつて紀元前800年ほどからイタリアに栄えたエトルスキ文明というものがありました。

エトルスキ人は今でも謎の多い、高度な文明を持った民族。

実はイタリアの多くの街や村が、エトルスキ人の集落跡を基盤にして作られています。

 

彼らが集落を作った場所は、決して偶然に選ばれたわけではありません。

人間が暮らしていて、気持ちが良いと感じられる場所。

清々しく心が洗われるような美しい景色。

過ごしやすい気候。

そこには人の「心地よさ」が詰まっていたんです。

だから自然とエトルスキ文明が滅びた後も、彼らの集落は街として発展し続けました。

 

不思議なんだけど、「あぁ、ここは気持ちの良い場所だなぁ。」と思う場所は大概、人に聞くと起源がエトルスキだったりします。

チビタも同じく。

ここの自然は古代から脈々と、私たち人間にエネルギーを与えてくれているような気がします。

 

 

村への唯一の入り口。
村への唯一の入り口。

そんな気持ちの良い場所が「死に行く街」と呼ばれる由縁は、近年の過疎化にあります。

行ってみればハッキリとわかるんですが、ここは「地上」からあまりにも遠く切り離された場所・・・。

暮らすには不自由であることは間違いありません。

現在もここに住み続ける住民はほんのわずかになってしまいました。

 

さて、それでは門をくぐって、いざ「地上」から「天空」の世界へ!

中はまた他のイタリアの都市と大きく異なって素敵なのですが、今日は長くなったのでここまで。

 

 

 

※フィレンツェ発、チビタ観光を含むオルビエートツアーを承ります。

一人では訪れるのがとても難しい、イタリアの秘境チビタ。

興味がある方は「問い合わせ」ページからお問い合わせください。