ヴァザーリの回廊見学してきました。

いつもは見ることのできない場所から、いつもの街を見る、楽しみ。続きを読むをクリック!
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2月から、普段は一般公開されてないヴァザーリの回廊が、期間限定で解禁になっています。

全予約制で、一回の見学は定員20人ほど、必ず二人のガイドが同行します。

 

前から興味があったので、新聞で「解禁」の知らせを読んですぐ、予約を入れて行ってきました。

 

※注意

今日はヴァザーリの回廊や、メディチ家について書きますが、いつものごとくcoccolobluの独断と想像が含まれている可能性があります(笑)

 

事実からはそれないよう注意していますが、面白さ、わかりやすさを重視してます。

歴史に興味のある人はcoccolobluみたいな「ホラ話好き」じゃなく、もっとちゃんとした人の説明を参考にしてね♪

間違ってても責任取らないよー。というか、間違ってても怒らないでね♪♪

 

夕日に見えるけど、朝焼けのポンテヴェッキォです。
夕日に見えるけど、朝焼けのポンテヴェッキォです。

ええと、まず「ヴァザーリの回廊ってなんぞや??」という人のために一言で表すと、

ヴェッキォ宮殿からポンテ・ヴェッキォを通ってアルノ河を渡り、ピッティ宮まで続いている、「見せたいような、見られたくないような」回廊(笑)です。

 

「フィレンツェには行ったし、橋も見たけど、そんな回廊ないじゃん!」と思われた方、この写真の橋の上を見てください。

小さな窓が転々と並んでいるのがわかりますか?

橋の二階(?)部分にあたるところ、そこが実はメディチ家専用の通路だったんです。

 

上から見るともっとハッキリ。
上から見るともっとハッキリ。

更に、この写真を見ればもっとよくわかるハズ。

建物から廊下がニョキっと突き出し、橋へと続いているのがわかるでしょう?

下に居た時にはあまりに自然で、周囲の建物とマッチしているので気付きにくいんですが、フィレンツェの街を密かに縦断する廊下が、「ヴァザーリの回廊」なわけです。

 

ヴァザーリの回廊という名の通り、建築指揮を任されたのはメディチ家お気に入りのジョルジョ・ヴァザーリ。

同じヴァザーリ設計のアレッツォの広場を、前に一度紹介したことがありますね。

   

ここが回廊の出発点、ヴェッキォ宮殿です。
ここが回廊の出発点、ヴェッキォ宮殿です。

時は1565年春、メディチ家のフランチェスコ一世と、オーストリア皇女ジョバンナの結婚を記念して、フランチェスコ一世の父・コジモ一世は盛大なお祝いを企画します。

 

コジモ一世と言えば初代トスカーナ大公であり、メディチ家をフィレンツェの支配者として確立した人でもあります。

(ちなみにフィレンツェの都市整備を行ったのもこの人で、現在のフィレンツェの姿は彼の業績によるところが大きいんです。)

 

メディチ家、フィレンツェ、共に昇り調子のイケイケドンドンの時。

その息子がなんと、他国のお姫様を后に迎えるっていうんだから、コジモ一世率いるフィレンツェが当時どれほど浮かれていたかは簡単に想像できますね。

上の写真の廊下の中は、こうなってます。
上の写真の廊下の中は、こうなってます。

そのお祝いの一つとして計画された「ヴァザーリの回廊」ですから、本来なら他国にメディチ家の権力と繁栄を見せつけるような「見せたい」物だったはずです。

でもこの回廊には他にも沢山、大事な役割があって、結局のところ「見せたくない」・・・というより「見られたくない」物に仕上がります。

 

どうして「見られたくない」物なのか。

実はこの回廊は、反政府勢力による暴動とか、何かイザ!という問題が起きたときの、メディチ家専用の避難経路としての役割も担っていたからです。

 

だって街の中心をこんなに堂々と突き抜けているのに、誰の視界にも入らない不思議な通路。

目の前にあるのに見えない空間・・・。

街から逃げるには格好の避難経路なわけです。

 

繁栄期に避難についても考えているあたり、コジモ一世の賢さが伺えます。

 

回廊の所々にある、小さな丸窓。
回廊の所々にある、小さな丸窓。

避難経路としての役割の他にも、メディチ家にとってこの回廊は大切な役割を持つようになりました。

 

それは・・・通勤!(笑)

 

体調が悪い妻のためにコジモ一世はピッティ宮を買い取り、プライベートはそっちで過ごしていたわけですが、政治の中心、つまり職場はヴェッキォ宮殿および現在のウフィツィ美術館にありました。

ピッティ宮と言えばアルノ河を渡った更に先、結構遠いんですよね、この通勤。

 

でも一応街の支配者ですから、そうそう市民の前に姿を現して毎朝ご通勤ってわけにもいかないし、冬は外寒いしw

というわけでこの回廊が大活躍!

つまり、住居から職場まで廊下が続いているので、市民に見られることもなく、寒い思いをすることもなく、楽々通勤できたわけです(笑)

うらやましー!

 

今私はポンテ・ヴェッキオの上を通ってます!
今私はポンテ・ヴェッキオの上を通ってます!

でもね、回廊を通勤に使ってたからって彼らを怠け者呼ばわりするわけにもいきません。

というのも、メディチ家の面々は体の弱い人がとても多かった。

中でも通風はメディチ家のファミリー病と言われたほどで、(※現在では最新の研究で、彼らの病は正確に言うと痛風ではなかったことがわかっています)、歩くことすらままならない家族も多くいたんです。

 

そんな病弱なファミリーにとって、この回廊、そして小窓からのフィレンツェの風景は、住居以外の場所を見ることができる貴重な場所だったに違いありません。

良い政をするためには、たかが通勤で体を壊すわけにもいきませんしね。

 

住居から伸びている廊下ですから、いわばこの空間は彼らのプライベート・ルーム。

普段は自由に外を歩き回ったりできない立場のメディチ家の面々も、この回廊を歩くことで町中を散歩している気分になれたんじゃないでしょうか。

 

さて、長くなってしまったので続きはまた次回!!