聖なる人の本当の人生

さてさて、正解は・・・続きを読むをクリック!
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正解は、サンガルガーノでした。

 

サンガルガーノという場所と伝説について詳しいことは、阪急交通社現地生情報に書いたので、そちらを見ていただけるとよくわかると思います。

せっかく自由に書けるブログなので、ここではもう少し自由に書くことにしましょ。

 

サンガルガーノ。

アーサー王の使っていた伝説の剣、エクスカリバーのアイディアの元になったのではないかと言われる、聖なる剣の眠る場所。

(アーサー王伝説自体は架空のお話です。幾つかの伝承が元になって合体し、アーサーという偉大なる王の姿を作ったと考えられます)

 

実際、ヨーロッパの伝承というのは各地の伝説やおとぎ話がゴチャゴチャと入り交じり合っていることが多いので、イタリア、トスカーナの片田舎の剣がどこかで混ざっていたとしてもそれほど不思議ではありません。

 

えぇ、本当にド田舎なんざんすよ。でもキレイ。
えぇ、本当にド田舎なんざんすよ。でもキレイ。
この美しい並木道を通るうちに、気持ちが静かになります。
この美しい並木道を通るうちに、気持ちが静かになります。

ここにあるのがエクスカリバーの原型だとして、それでは剣の持ち主はアーサーかと言うと・・・ハッキリ言いますがそれは絶対に違います。

 

聖ガルガーノ伝説について事実としてわかっていることは阪急交通のページで既に述べたので、ここで繰り返すのは止めましょう。(長くなるしね)

ここでは私の想像を交えて、もっとリアルな聖ガルガーノの姿を探ってみたいと思います。

 

 

今は廃墟となっている修道院へと続く道
今は廃墟となっている修道院へと続く道

時は12世紀。

トスカーナの田舎町で、裕福な貴族の一人息子だったガルガーノ青年。

可愛い許嫁もいる、お金もある、町の人々は尊敬してくれる、何一つ不自由のない暮らし。

ところがある日、母親が彼の騎士姿を夢に見たがために「戦争に行って手柄を立てておいで」と言われてしまう。

 

この時点では恐らく彼は、自分の鎧姿にうっとりとして、華々しい活躍を夢見ていたことでしょう。

母の夢のお告げの話も信じ込み、「そうだ、俺は優れた武将となって伝説を築く運命の男なのだ!」くらいのことは思っていたかもしれません。

でもこの時期、戦争へと突き進んでいく世の風潮がベースとなり、可愛い息子の鎧姿を夢に見た母親は沢山いたと私は思いますけどね。

 

まさしく、彼がこの時点で思い描いた姿は、アーサー王のような勇敢かつ最強の騎士。

ガルガーノ青年は愛馬にまたがり、意気揚々と旅立ちます。

 

エルサレム、聖地奪還戦争。

そこで彼は初めて、現実を知るのです。

 

死んでいく者、自分が殺した者、自分を殺そうとした者。

厳しい戦地での生活。

むごたらしい戦場の地獄絵。

粗野でむさ苦しい男たち。

甘やかされて育ったおぼっちゃんガルガーノ青年は、激しい精神的ショックを受けてその場から逃げ出してしまうのです。

 

嫌悪?良心の呵責?彼の心に渦巻いていた感情については様々な呼び方ができるでしょうが、結局のところ彼は少し、おかしくなってしまったんだろうと思います。

 

傷付き汚れて、無我夢中で逃げ出した彼の足は、自然と平和な故郷へと向かいます。

静かで、平和で、美しく、誰もが彼を敬い愛してくれたその土地へと。

 

こういう景色を見ていると、奇跡も信じたくなります。
こういう景色を見ていると、奇跡も信じたくなります。

しかし故郷の町が目前まで近づいてきた時、彼はハッとして馬を止めます。

 

彼は家族の、許嫁の、故郷の町の期待を一身に背負って旅だっていったのです。

「敵なんか全部斬り殺してやるさ!俺が聖地を守る!」

偉そうに言った言葉の数々が彼の胸をよぎります。

人生経験のない金持ちのボンボンが、ピカピカの鎧に身を包んで、どんな態度だったか・・ちょっと考えれば想像がつきますよね。

きっと相当、嫌な奴だったんじゃないかな。

 

彼は貴族の息子ですから、誇り高く傷付きやすくナイーブです。

家に戻るわけにはいかない。

それでも戦地にも戻りたくない。

 

ガルガーノ青年は故郷を見下ろすことのできる丘の上で、大声をあげて泣きます。

 

引き裂かれる心、苦痛、苦悩、様々な思いが一気に彼の頭をショートさせます。

ボン!!!

 

そして彼は光を見たのです。

太陽の光だか、涙の反射か、きっかけが何であったかはわかりません。

でも散々大声を出して泣いた後、何かしら、神々しく美しい物を見たに違いありません。

恐らくそれは・・・故郷に沈む夕日だったかもしれません。

あるいはトスカーナの丘が連なる風景だったかもしれない。

 

そして、あることを思いつきます。

 

「俺は逃げてきたんじゃない。むごたらしい戦場を目にして人間の業に気付き、今後の人生を神に捧げるためにここにいるのだ!!!」

 

彼はおごっていた自分の心の弱さも、戦場から逃げ出したことも、すべてを肯定的に説明するのにピッタリの解決法を見つけてしまうのです。

つまり、信仰です。

 

 

その後の彼の生き方は、過激としか言いようがありません。

 

彼は当時流行っていた「世捨て人」を真似て、更にその中でも過激な「世捨て人」となりました。

世俗との関係を絶つだけでなく、道ばたの草などをむしって食べる生活。

攻撃的な態度でバチカンまで行って、堕落した教会のあり方をギャーギャー騒ぎ立てたりもします。

冷静に考えればかなり頭のおかしい事も散々しました。

 

 

そして、そんな暮らしをしている人が長生きできるわけもなく、32歳という若さでこの丘に臥します。

まぁその過激な暮らし方のお陰で、死後聖人に並べられるわけですが・・・。

 

・・・・

あれ、聖剣が出てこない?

そう、私の想像の中では、剣がいつ岩に突き刺さったのかはよくわかりません。

伝説では彼が戦場での行いを悔い改めた瞬間に、剣が岩に飲み込まれたとあります。

しかし実際には、そもそもこの剣がガルガーノの物だったという証拠も、まだ見つかってはいません(後の研究でわかったのは、確かに12世紀の物だということだけです)。

 

でもトスカーナの丘に沈む夕日を見ていると、剣が岩に飲み込まれるくらいの奇跡は、起きても不思議じゃないような気持ちになります。

 

剣にまつわる面白いお話については、また後日ここで紹介することにしましょう。

あ、ちなみに上に書いたガルガーノ物語は、伝説を元にした全部私のオリジナル空想ストーリーですから、信じないように(笑)

人前で話したりどこかで書いたりしたら伝承と違うところがあって恥ずかしい思いをする上に、著作権はcoccolobluにありますからね!(爆)