いつもはどうでもいいイタリア生活のことばかり綴っているcoccolobluですが、今日は少し真面目にいきたいと思います。
そして、長くなってしまいますが、できれば、少しでも多くの人に読んでもらいたいです。
8月の暑い暑いある日。
福島から数組の家族がイタリアへとやって来ました。
これはイタリア政府観光局が主催している「Italian Friends For Japan」というプロジェクト。
福島原発から30km圏内に家があり、現在避難生活を余儀なくされている子供たちとその母親数組を、最長3ヶ月イタリアに招待するというものです。
coccolobluはこの記事を読んですぐ、「何かできることはないものか」とイタリア政府観光局に直接メールにてボランティアの申し込みをしました。
ボランティア募集という記述はまったくなかったので、迷惑かもしれないとは思ったのですが、何か行動せずにはいられなかったんです。
イタリア政府観光局からの返事は、ボランティアの申し出はとても嬉しいということ、私と同じようにボランティア応募した人が他にもいること、家族はローマでの滞在が決まっているのでフィレンツェ在住の私にはあまりできることがないこと。
そして、「もしローマ滞在中の家族がフィレンツェ観光をしたいと希望した場合には、観光案内をしてください」ということでした。
そしてある日、家族の代表者から一通のメールが届きました。
「フィレンツェ一日観光をしたい」と。
自分の無力さ、何もできない歯がゆさを感じていた私にとって、たとえほんの少し、本当に本当に少しだけでも、福島の子供たちのためにできることがあるということは、大きな喜びでした。
子供8名、母5名、総勢13名という大所帯を案内するのは初めての経験。
うまくできるかなと不安もありましたが、とにかく、悪夢のような出来事を体験した子供たちに、少しでも楽しい夏の思い出ができればという願いでいっぱいでした。
イタリアの劇団で子供たちに演劇を教えているイタリア人にお手伝いをお願いし、私もちょっぴり道化風のミニ帽子を頭に載せた派手な格好で、「ようこそイタリアへ!」と書いた紙を持って、駅で子供たちを待ちます。
駅で13名の家族に出会った時、みんなとても元気で、笑顔でした。
観光の間も、食事中も、お母さんたちは常にふざけたり、冗談を言ったりして笑い合っている。
底抜けに明るいお母さんたち。
そして子供たちも、それぞれにはにかんだり、自己主張したり、とても元気で、その姿を見ているだけでこちらも元気になれるような気がしたほどです。
まさかこんな明るい家族が、ある日突然に家を、土地を、仕事を失い、避難所での生活を余儀なくされ、明日どうなるのかもわからない身であるなんて、誰が見てもわからなかったことでしょう。
中には、避難所で知り合って一緒にこのプロジェクトに申し込んだという母子もいました。
ローマで初めて知り合ったという母子もいました。
でもみんなが、まるで一つの家族のよう。
お母さんは、みんなのお母さん。
お姉ちゃんは、みんなのお姉ちゃん。
小さなの子の面倒を大きな子が見て、お母さんたちが子供たちを元気に励まして。
避難生活や放射能への恐怖という苦難を共に闘ってきた彼らは、一つの温かい家族のようでした。
でも、そんな太陽のように明るい家族から時々に語られる話は、想像をはるかに超えた壮絶なものでした。
私は、何もわかってなかったのかもしれない。
突然に、自分の家が放射能に汚染されるという恐怖を。
政府からの支援は、まったく届いていません。
赤十字からはようやく家電6点セットが届き、義援金は一世帯あたり現金40万円が支給されましたが、たとえ5人家族でも2人家族でも40万円。
3月11日から既に5ヶ月が経過しているんだもの、どんなに大事に使ったって、足りる額ではありません。
「家だって、服だって、食べ物だって、なんだって持ってたのにね。今はなーんにもなくなっちゃったの。」
この、なーんにもない、という怖さ。
それもある日、突然に。
「今日私が着てる服、パンツにいたるまで全部支援品よ!」と一人のお母さんが言えば、「私だって!」「バックもそうだよ」と口々に声があがります。
そうだ、彼らは着替え一着手に入れるのも、一苦労という生活なんだ。
こうやってフィレンツェを歩いていると普通の日本人旅行者と全然変わらなく見えるのに、すべてが、全然、違うんだ。
パンツだって、支援品が届かなければはくこともできないんだ。
ハっと気付かされた瞬間でした。
coccolobluはイタリアにやって来る前、一人で住んでいたアパートがあり、自分の家具や服、お気に入りの品々や思い出の品々など沢山の物がありました。
でも引っ越しに持ってこられなかったから、スーツケース一つでイタリアにやって来た。
そして、「自分の物ではない」物に囲まれて、「自分の趣味ではない」物を使うことを余儀なくされ、それが大きなストレスになりました。
でも私は「イタリアに暮らす」という夢のためにそれを自ら選択したのであって、しかもイタリアに来てからもたとえそれが自分好みの物であろうとなかろうと生活必需品は揃っていたのです。
特に不自由することはなく、それでもストレスを感じていた。
それが、自分のせいでもなく、ましてや選択したわけでもなく、何の希望もないままに「なーんにもない」状態になったら、どれほどの精神的苦痛だったことでしょう。
慣れない土地での過酷な避難所生活。
人からの支援だけが頼り。贅沢なんかもちろん言ってられない。
普段私たちは自分の好きな物を選んで買うことが出来るけれど、彼らの場合は「ない」状態から「数が足りなくとも、サイズが合わなくても、とりあえず「ある」」状態になるまで、私たちでは想像もできないほどの苦労をしたのです。
一人のお母さんが、一枚の写メを見せてくれました。
段ボールいっぱいのブラジャーを前にして、満面の笑みの女性たち。
「探しても探しても手に入らなくて、ある日、下着会社の人が、送ってくれたの。もうこれを見た瞬間、嬉しくて嬉しくて涙が出た!」
女性ならこの言葉の重み、わかってくれると思います。
聞いている私の方が、またもらい泣きしそうでした。
恐ろしい話も沢山聞きました。
彼らの家は、原発から30km圏内。
政府は一度30kmに設定したラインを、後日20kmに引き下げました。
それにより、現在警官によって守られているラインは、20kmライン。
でももちろん、30km圏内の人々だって全員避難しているから、町はゴーストタウン状態になっています。
つまり、20km~30kmの間は、警官に守られてもいない、人もいない、やりたい放題の無法地帯になってしまったのだそうです。
隣の県や近郊のバカな若者たちが、「○○村へ行こうぜ」なんて合い言葉を使ってこの30km圏内にやって来ては、家を破壊し、物を盗んでいく。
窃盗なんて当たり前。
何も盗む物がないと手当たり次第に物を壊し、挙げ句の果てに家の中にケチャップやマヨネーズをぶちまけていくというのです。
「うちもやられた」「うちもうちも」
「みんなやられちゃってるんだよね」とお母さんたち。
「時々捕まったりもしてるけど、どっちみち警官がいないんだもん、またどっかからやって来て誰かが破壊してくのよ。」
信じられない。信じられない。信じたくない!!!!!
同じ日本人なのに!?こんなにツライ体験をした人たちを更に痛めつけるような仕打ちを、一体どうやったら考えつくの?
一体どうしてそんなバカで愚かでアホでクソったれなことができるわけ!!??
coccolobluは猛烈に怒っています。
そんなクソったれどもがぬくぬくと暮らす家を、今すぐ被災者に開放しろ!と思います。
家庭内から被災地破損や窃盗の逮捕者が出たら、その家、家財道具も一切そのままにして出て行け!!!
着の身着のまま逃げなきゃいけない恐怖を、一度味わってこい!!!
「逮捕されたのはうちの息子で、私たち関係ありません」???
あ、そう。被災者だって原発とは何の関係もないけど、こんな生活強いられてるんだよっ。
少なくともあんたたちは、息子の監督不行届という罪は負ってるでしょ、逮捕者の出た家、今すぐ出て行って被災者に開放しやがれ!!!!
過激発言すみません。
でも同じ日本人の中に、こんな人間がいるということが悔しくて悔しくてなりません。
一時帰宅の様子も教えてもらいました。
防護服を着てバスに乗って、監督されながら自分の家に戻ります。
そして渡されるのは一世帯につき一枚のビニール袋。
家から物を持ち出す時は、その袋一枚に収めなければなりません。
これも、家族5人でも1人でも一袋。
当然、入りきるわけがないから、その場で夫婦げんかが始まることも珍しくないんだとか。
理由はもちろんわかります。
物だって放射能に汚染されてる。
勝手に持ち出すわけにいかないのはわかります。
きちんと検査して、放射能が外に漏れないように管理して欲しい、とも思います。
でも、たった一袋のゴミ袋を手に、防護服を着て自分の家に立った時の彼らの気持ちを思うと、せつなくて、やるせなくて、やっぱり泣けてきます。
「検査だって、私たちの地域は最近はもう曖昧なのよ」という声も聞きました。
「防護服だって自分たちで用意したのでいいなんて言うのよ。30km圏だからって最近は何もかもうやむやになっちゃって、ちゃんと守るとか管理するって意識が薄れてきたみたい」と。
彼らがこんな我慢をして、自分たちの大切な物をその場に残して、規則を守ってるんです。
政府の人、意識薄めてる場合じゃないでしょ!!!
ちゃんと仕事してください!!自前の防護服でいいわけないでしょ!!
国民をちゃんと守ってください!!!!!
おまけに、避難所だって政府が斡旋してくれるわけではないのです。
「ぜーんぜん、政府は何にもしてくれなかったよ。もうここには住めませんから避難してくださいって言うだけ。後は自分たちでどうにかしろっていうわけ」
なんですかそれ、なんですかそれ?
彼らは自分たちでどの避難所に行くかを選び、申し込みをし、避難生活を始めなければならなかったそうです。
子供たちを抱えて。不安を抱えて。
政府から何の支援もサポートもないなんて、おかしくないですか?
今回フィレンツェ案内をした家族の中には、私と一歳しか年が違わなくて、2人の子供を抱え、シングルマザーのお母さんもいました。
シングルマザーのお母さんたちに支援物資を配るために活動しているというお母さんもいました。
仕事も失い、子供を抱え、支えてくれる夫もない彼女たちにとって、「自分たちで勝手に避難してくださいね」というのがどんなに大変なことか、ちょっと考えただけでわかります。
一つの大きな家族のように仲良しのみんなを見ていると、こうした状況の中で団結が生まれたのだなぁと感じました。
放射能は目に見えません。
でも確実に、人体に影響があるのです。
特に子供たちは影響を受けやすく、チェルノブイリ原発事故の後、当時子供だった人々の甲状腺癌が多発したそうです。
こんなに元気で、素直で、我が侭も言わず、過酷な状況に耐えている子供たち。
小学生なら、十分に物事がわかる年齢です。
内心は怖い思いをしているに違いありません。
一体彼らが何をしたって言うんでしょう。
どうしてこんな素敵な子供たちが、甲状腺癌の危険にさらされなきゃいけないんでしょう。
やるせない怒り。
東電はどういう責任の取り方をするんでしょうか。
政府はどんな対応で子供たちを守るんでしょうか。
今のところは、それこそ「なーんにもない」ようです。
Italian Friends For Japanプロジェクトでイタリアにやってきた家族は、航空券と滞在費、三食の食事などが無償提供されています。
ローマのホテルでも温かく歓迎してくれたそうで、私も聞いていて嬉しく思いました。
イタリアは政府レベルでは日本に何の支援もしてくれなかった。
イタリアに住む日本人として、それは悔しく恥ずかしかったけれど、今回民間レベルでの温かさに触れ、少し気持ちが和らぎました。
市場に案内した時、八百屋のおばさんが福島から来た家族だと聞いてブドウの房をわけてくれました。
「みんなで食べてね」と。
同じ市場の中で小物やオモチャを売る屋台では子供たちの足が止まり、お買いものタイムに。
自分の小さなお財布からわずかなお小遣いを出して、悩みに悩んで、ほんの少しのチョコレートと、1ユーロ50セントの小さなおもちゃだけを買った子供たち。
(まだ小学校にも入っていない子だって、お気に入りのオモチャももちろん家に置き去りにされてるわけです)
2ユーロを越える品物を買った子は一人もいませんでした。
そんな小さなオモチャで一瞬でも幸せな気持ちになってくれるなら、幾らでもプレゼントしたかった。
でもお母さんたちは気丈に、何にも受け取ってくれませんでした。
回転木馬のチケットを買った時も、水を買った時でさえ、そんな小さなお金でさえ私に払わせてはくれませんでした。
バールで水を買う私に「私、鼻くそみたいな退職金が出たの!!お願い、私に払わせて!」とやってきて強引にレジを済ませてしまったお母さん。
その退職金だって、仕事を続けることができない状況にされてしまったから出たものじゃないか・・・。
それなのに、「今日はフィレンツェ観光させてもらえて嬉しい!案内してくれるだけで十分なんだから、あなたはお金は出さないで!」と声をそろえるみんな。
「今日は本当にありがとう!」「グラッツィエ!」と大きな声。
そんなに優しくしないでください、私はあなたたちの力に何にもなれなかった、非力な人間の一人なんです。
話を聞いて胸を痛めても、私には何もできない。悔しい。本当に、言葉がでない。
自分は安全な場所にいるくせに被災地を破壊するなんて非人間的な人間もいる。
でも、こんなに苦しい思いをしてもまだ、誰よりも温かく人間らしく、気丈で、清々しく気持ちの良い人たちが、いる。
どうして彼らが?
どうしてこんなに素敵な人たちが、こんな思いをしなきゃらないんだろう?
一人、とても印象に残った女の子がいました。
8人の子供の中で一番年長で、すらりと頭の良さそうな顔をした女の子。
他の子たちみたいに感情を表に出さず、一人静かなたたずまいでしたが、気がつくといつも私の斜め後ろ辺りにいて、実は誰よりも私の話を聞いてくれていたのでした。
まるでちょっとでも、私から何かを吸収しようとしてるみたいに。
小さな子の面倒を良く見て、まるで全員のお姉さんみたい。
状況もよく理解していて、心は人一倍色んなことを吸収しているのに、ちっともそれを表に出さずに涼しい顔をしてしまうような、少し背伸びしてお姉さんをしているような子でした。
なんだかそんな様子を見ていると、「そんなに急いでお姉さんにならなくていいんだよ」と抱きしめてあげたくなる。
まだまだ他の子たちと一緒にはしゃいでいていい年齢なのに。
子供が無邪気に、何も考えず、「放射能」なんて突拍子もない物に脅かされることもなく、子供らしく暮らす。
そんな当たり前のことがどうして実現できないんだろう。
彼女の年不相応な聡明さが、私の胸を激しく突きました。
彼女はラッキーを運ぶというイノシシ像前でのコイン落としも、一人だけ参加せずに後ろで眺めていました。
「一緒にやってこなくていいの?」と聞いたら、
「いいの。ここに来られただけで私はラッキーだったから。」という返事。
もう、なんて言っていいかわかんないけど、めちゃくちゃにその子を抱きしめたかった。
そのポーカーフェイスが崩れて、「痛いわ、ボケー!」と感情丸出しで怒鳴ってくるまで、ぎゅっとしてたかった。
その子はcoccolobluが一人旅でイタリアに来て、後に暮らし始めたという話を聞いて、「私も次は一人で来たい」と言っていました。
そうだね、いつかイタリアでホームステイして、世界を見るのも素敵だね。
イタリア語だって私なんかよりずっとずっと上手くなっちゃうよ。
君ならやれることがいーーーーっぱいあるよ。
このイタリア滞在が、一人一人の子供たちに楽しい夏の思い出と、ほんの少しでも未来への夢を与えることができるならいいのに。
かつて私に第二の人生をくれたイタリアの魔法が、彼らの上にもいっぱいいっぱい降り注ぎますようにと、祈らずにはいられない。
お母さんたちが、今、ちゃんと彼らの元まで届いている支援について、教えてくれました。
ひょっとしたらこの記事を読んでくれる人の中にも、既にこのサイトを見たことがある人がいるかもしれません。
でも震災後は盛んだった支援も、最近では忘れられかけて、以前のような活発さはないのだとか。
どうかもう一度、このサイトを見てみてください。
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」では、支援して欲しい人が直接、「○○が足りません。支援してください」という書き込みをします。
支援したい人はその書き込みを見て、直接投稿者へと物資を送ります。
今回私が案内したお母さんたちの中にも、このサイトを経由して支援を訴えかけているという人は沢山いました。
そして、実際に支援物資を受け取った時がどんなに嬉しかったかも、語ってくれました。
政府はあてになりません。
赤十字も、せっかくの義援金が被災者の手元に行くまでにだいぶ目減り(平等に振り分けるだけでも人件費がかかる)しているようです。
団体が間に入ると、「平等」に配るために大きな労力が使われていて、実際には困っている人の所に欲しい物が届いていません。
個人から個人へ直接送る。
今確実に機能しているのはそういう個人レベルでの支援だそうです。
「少量でも、古着でも、どんな物でも嬉しいです!」
「様々な体型の者がいて、様々な年齢層の者がいます。子供もいます。どんなサイズの物でも有り難い」とのこと。
食料や生活必需品も足りていません。
どうか、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」のサイトを見て、少しでも支援できそうな物があれば、被災者の元に届けてください。
アマゾン経由で商品を買って、新品を送ることもできます。
いつも「ポチっ」とネットショッピングしているそれと同じ労力で、被災者の支援ができます。
それから、一人のお母さんが「本当に頑張ってくれている」と言って「とすねっと」という任意団体の名前を挙げていました。
とすねっとは首都圏へと避難してきた被災者への支援を主に活動している団体だそうですが、被災者の視点に立ってしっかり活動している団体だそうです。
寄付も受け付けているようですから、一度サイトを見てみてください。
*******************
とりとめもない文章になりました。
たった一日のガイド役でしたが、そこで感じた気持ちが大きすぎて、混沌としすぎていて、自分でもうまくまとめられずにいます。
その気持ちを、まとめないまま、ここに書き留めました。
元気に観光を終えた面々でしたが、フィレンツェ駅で別れがやって来て、突然にお母さんたちの目に涙が浮かんできました。
一人一人のお母さんとしっかりと、汗だくだったけどぎゅっと、強く抱き合いました。
私はひどく動揺していて、伝えたいことが沢山あるような気がするのに正しい言葉が一つも見つからなくて、情けなかった。
それは多分、何の役にも立てない悔しさ、政府や東電への怒り、自分への怒り、悲しみ、そして何よりも、子供たちやお母さんたちのヒマワリのように輝く強さ、温かさ、美しさに触れた戸惑い・・・それらがごっちゃになって、動揺していたんだと思います。
電車に乗り込んでからも、小さな男の子がずっと繰り返し「グラッツィエ!グラッツィエ!」と叫び続けていました。
それがまた、見事な発音だったこと!!
あぁこの子たちはつらいことも沢山見たけど、これから沢山、沢山、良いことも吸収して、成長して、私たちが到達できなかった所へもずんずん進んでいくんだ。
この子たちの中には、そんな未来への可能性が詰まってるんだ。
だからこそ、守らなきゃいけない子供たちなんだ!
そんなことを思いました。
今日本は、三分割されている、と聞きます。
まず被災者、被災はしていないけど放射能の危険に敏感にならざるを得ない地域の人々、そしてまったく関係ないと思っている人々です。
関係のない場所にいれば、月日が経つほどに、あの時のショックは薄れていきます。
日常に流されて、忘れていく。
でもまだまだ、何一つ解決はしていないんです。
無関心という刃で、自分でも気付かぬうちに被災者を傷つけるようなことはしたくない。
被災地から離れているからこそ、できる支援もあるかもしれません。
最後に。
この取り留めもない、長い文章を読んでくださって、本当にありがとう。
コメントをお書きください
ynagoya (火曜日, 09 8月 2011 11:41)
coccolobluさん、ご無沙汰してます。以前コメント残したynagoyaです。この記事を読んで知らず知らずのうちに涙が出ました。
同じ日本国内でも福島から来た子たちに差別発言をする心ない人達がいると聞きます。
日本人より限られた情報でしか現状を知ることができないイタリア人は、福島から来た人々にさらに闇雲な恐れを抱いてもおかしくはないというのに、そんな中でもブドウをくれた市場のおばさんは温かいですね。
時間ってとても残酷で、直接の被害を被らなかった私のような人々は時間とともに段々に問題意識が希薄になってしまうんですよね・・・。
この記事を書いてくれてありがとう。
coccoloblu (火曜日, 09 8月 2011 18:00)
yanagoyaさん
コメントありがとうございます。
そして、こんなまとまりのない長い文章を読んでくださり、本当にありがとうございます。
私の中でもまとまりがつかないままでしたが、そのまま、投げかけたいと思ったんです。
震災から5ヶ月が経とうとしている今、もう一度考えたい、感じたい、こと。
そういう気持ちで書きました。
一人でも多くの被災者の元へ支援物資が届くことを祈ります。
tomaka (木曜日, 11 8月 2011 15:26)
親戚が福島に沢山います。
先日妻の従弟の子が二人、子供だけで新幹線に乗り我が家にやってきました。10分しか外に出てはいけないと言われている被災地の子が我が家に来て思いっきり遊んで帰って行きました。私の息子も大喜び。でも、家に帰るとまた放射線との戦い。
地震、津波は天災だけど原発はそうでない。
怒りがこみ上げてくる。
coccolobluさんの気持ちと同じです。
本当に被災地の人の気持ちを考えると言葉にならない。
どうすればいいのか・・・
こんな政府だとは思わなかった。
もっともっといい国だと思っていたけど、最近は思えなくなってきた。
いったいどうすれば・・・
悶々とする日々です。
coccoloblu (木曜日, 18 8月 2011 20:26)
tomakaさん
コメントありがとうございます。
その子たちも、たとえほんの少しでも、tomakaさんの所で思い切り遊べて良かった・・・。
イタリア人にこの気持ちを話しても、「政府があてになんないのなんか、そんなん世界中どこでもだって。イタリアを見なよ」と言われる。
世界中どこでも、それは確かに現実にそうなのかもしれないけれど、その現実を変えることは本当にできないのか?
政府ってのは私たち一人一人の願いや思いと、こんなにも遠く離れたものであっていいのか???
世界中そうだからって、こんな現実、許されていいのか?
まさしく、悶々とする日々です。
piyosuke (水曜日, 31 8月 2011 14:33)
coccolobluさんこんにちは。
最初から最後まで読ませていただきました。
途中、涙があふれてとまりませんでした。悔しさや怒りよりも、イタリアや日本でがんばってくださっている方の温かさ、被害者なのに気丈なお母さんや子どもたちの記事を読んでいるときに、涙がボロボロボロボロ…うわぁぁん!
震災の当日、横浜のわたしのうちは断水・街中が停電して真っ暗でした。
だから、テレビも見られずに東北がどれだけすごいことになっているかも、ラジオだけではピンとこなかった。結果的には横浜は東北に比べたら無害といっていいほど何もありませんでした。
それでも真っ暗な中、一人でじっとしてるのは怖かったです。
電話もつながらないし。
あるブログを読んでハッとしたことがあります。
「仕事が嫌になったり疲れたりすると『あーもう家に帰りたい』って思うだろうけど、その『家』がないんだよ。帰りたいって思ったって、帰るところがないんだよ。それがわかるか」というような内容でした。
わたしはいま「関係ない人」になっちゃってる気がします。
日常の生活をすることは何も悪くないと思う。
悪くないけれど、震災を忘れるのは決してしてはいけないって思います。
日常生活のありがたさを感じながら日々過ごしたいと思うし、息の長い支援をしなくてはと思います。
…長くなっちゃってすみません…
coccoloblu (木曜日, 01 9月 2011 00:36)
piyosukeさん
コメント、ありがとうございます。
まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただけて嬉しいです。
この震災では、誰もがそれぞの痛みを背負った、と感じています。
被害が少なかったから、大きかったからと言って、誰のことも、誰からも、避難はできません。
人それぞれの受け止め方、感じ方、前に進むやり方があってしかるべきだと思っています。
震災という一つのテーマにおいて、私たちは改めて個人的な存在になったな、と思うのです。
私の痛みと、他の誰かの痛みが同じであることはあり得ない。
それは誰か一人の代表者の声で、その他の人々の気持ちを代弁することができない、ということです。
私たちはそれぞに、自分たちが背負った痛みと一人で向き合うことを求められている、そんな気がします。
私は私の感じたままを書きました。
まとめられない気持ちも、そのまま。
福島の人々の声を代弁できるとも思っていないし、この文章が誰かを傷つけるかもしれないという恐怖もありました。
でもこれが、私の「痛み」との向き合い方だったのです。
これからも自分なりの痛みとの向き合い方を探していくでしょう。
そしてきっと、この福島の子供たちやお母さんたちの笑顔を、ずっとずっと忘れないだろうと思います。
最後にみんなと抱き合ったあの時の気持ちを胸に抱いて。
ブレッド&サーカス (日曜日, 18 9月 2011 11:47)
はじめまして。
百聞は一見にしかずで、直接触れた被災者の方々のさまざまな場面を、あたたかな目線で文章にしてくださって、ありがとうございました。
胸が痛くなりました。
ぜひこのブログ記事をリンクさせていただきたくて、コメントを書かせていただきました。
このブログ記事はもっと広まるべきものだと感じたからです。
リンクのご了承をいただけたら、とせつにお願いいたします。
coccoloblu (日曜日, 18 9月 2011 13:28)
ブレッド&サーカスさん
コメントありがとうございます。
私の拙い文章でよろしければ、どうぞいくらでもリンクしてください。
できればリンク先のアドレスを教えていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
レイコ (土曜日, 19 11月 2011 08:51)
はじめまして。
被災者の方々のこと、知ることが出来、感謝しております。
3.11は晴天の霹靂でした。未だに原発事故の記事を追っています。被害にあった人たちは何の罪もないのに大変な苦労を強いられてお気の毒でなりません。
そして未だに政府や東電は何もしていないとしか思えないようなアクションしか起こさず。心配です。
ミラノから赤十字に送金したり、募金活動に関わっても、結果思うように届いていないんですね。大変参考になりました。
募金活動はこの先何十年も続けていくべきものだと思いました。
これからも巨大地震は日本に必ず来ます。今ある原発の全てを廃炉にと切に願っています。このままでは福島の方々が体験した悲劇が無駄になります。これからも注視していきたいと思います。
coccoloblu (火曜日, 29 11月 2011 22:24)
レイコさん
コメントに気づくのが遅れてしまい、お礼が遅くなってしまいました。すみません。
コメントありがとうございます。
赤十字、特にイタリアの赤十字経由のものは、あまりちゃんと届いていない・・・という話は残念ながら複数の場所で耳にしました。
やはり個人から個人タイプの支援の方が、現在は機能しているようです。
本当に、長い支援が必要なことだと私も思います。
拙い文章を読んでくださり、ありがとうございました。