いやー、まさか三回にもわたってしまうとはなぁ。
引っ張っちゃってごめんなさいね(汗)
ええと、前回はマネッリ家を迂回したところまででしたね。
更にどんどん先へと進んでみましょう。
少し先に行くと、突然こんな窓が現れます。
近づいて鉄格子の間からのぞいてみると・・・
そう、教会です。
これはサンタ・フェリチタ教会の、メディチ家専用の特別席。
もちろん通常の外からの入り口もあって、一般人はそっちから出入りしますが、上を見上げるとメディチ家の特別席バルコニーをちゃんと確認することができます。
もうおわかりですよね。
ヴァザーリの回廊は通勤としての役割も果たしていたと言いましたが、こっそりとミサに通うための道としても使われていたんです。
ヴァザーリの回廊からこの特別席に行くことができるようになっていて、メディチ家の面々はここからミサを聞いていました。
うーん、多機能な廊下!!
教会の中も突き抜けてしまうという建築計画、そして教会側としてもNoと言うことができなかったメディチ家の権力・・・それを考えると本当に、例のマネッリ家のNoがどれほど勇気ある行動だったかわかります。
さて、そろそろツアーも終わり。
最後の廊下に並んでいた絵画は比較的新しいコレクションで、ずらーっと、有名画家や歴史上の人物の肖像画が並んでいました。
そんな廊下の突き当たりに、ある女性とその夫を描いた一際大きな肖像画があります。
最後のメディチ家、アンナ・マリア・ルイーザです。
フィレンツェを愛するすべての人は、おそらく彼女に深い敬愛と尊敬、そして感謝の念を忘れることはできないだろうと思います。
かく言う私も、その一人。
せっかくだから彼女のお話をして、この長かったヴァザーリの回廊ツアーを締めくくろうと思います。
(実際のツアーもまったく同じように、彼女の話で幕を閉じるようになってたんですよ☆)
ヴァザーリの回廊が作られてからおよそ170年後。
「最後のメディチ」アンナ・マリア・ルイーザが生まれた1737年には、メディチ家はすっかり落ちぶれて、以前のような権力と栄光はまったくなくなっていました。
彼女はドイツのプファルツ選帝侯の後妻として嫁ぎますが(後妻である時点で、メディチ家の衰退が伺えます)、残念ながら流産を繰り返し、子供の産めない体になってしまいます。
彼女には兄が一人いましたが、最後のトスカーナ大公である兄ジャン・ガストーネは憂鬱病にとりつかれた男色家で、子供を持つことはありませんでした。
(ガストーネも面白い人なんですが、ここではすっ飛ばしますよっ)
ガストーネの死後、他の国々が一斉に「フィレンツェは俺のもんだ!」「いやいやメディチ家なき後は、俺が支配者になるぜっ」と騒ぎだし、あれよあれよと言う間に、この国はオーストリアのハプスブルグ家が継承する・・・ということになってしまうんです。
でもフィレンツェと共に成長し、フィレンツェを愛してきたメディチ家と、他国からやって来た支配者とでは・・・当然街に対する理解と愛着が違いますよね。
「私たちが今日からあなたたちのトップですよ~~」とフィレンツェを凱旋したハプスブルグ家のご夫婦、やって来るなり貴重なコレクションを幾つも売りに出し、自分たちのポケットマネーにしようとしたんです!
未亡人となってフィレンツェに帰ってきていたアンナ・マリア・ルイーザはその様子を見て、「このままではメディチ家が何世代もかけて収集してきた、貴重な美術品たちが失われてしまう!」と、ある重大な条約を結ぶことにするのです。
それが、「Patti di Famiglia」という名の条約。
内容は、
【彼女亡き後、すべてのメディチ家の財産は、「トスカーナ大公国(つまりフィレンツェ)から外へ持ち出してはならない」という条件のもとに、トスカーナ大公国に寄付する。】
というもの。
更に彼女ははっきりと、これらの財産は外国人の興味を引き、トスカーナ大公国にとって有用に活用すること、と明言しました。
要するに、後に彼らの財産が観光対象になり、フィレンツェに益をもたらすことまで見越していたわけです。
なんという知識と、配慮と、そして何よりもフィレンツェへの愛情を持っていた人!!
彼女が結んだこの条約のおかげで、フィレンツェの宝は何一つ国外(イタリアの外、という意味ではなく、フィレンツェの外、という意味)に持ち出されることなく、すべてがこの街に留まることになりました。
今日私たちがフィレンツェの美術館巡りを楽しむことができるのも、数々の調度品を眺めながら建物を見て回ったりできるのも、すべては彼女のおかげ。
彼女が救った「宝」の目録を見れば、どれほど多くの物がメディチ家のコレクションであったかがわかります。
当然このヴァザーリの回廊ツアーができたのも、その中で沢山の絵画を見ることができたのも、彼女のおかげ。
もし彼女がこの条約を結んでいなかったら、他の数々の美術品の末路がそうであったように、ちりぢりに売りさばかれ、多くの物は失われ、多くの物は他国の所有物になってその国の利益に一役買い・・・ということになっていたに違いありません。
支配者であったという意味で、メディチ家にも賛否両論いろいろあることでしょう。
(いつの世も、どの国でも、多かれ少なかれ国のトップには不満が集まるものだもの・苦笑)
しかし彼らほど芸術に対するしっかりとした指針と、審美眼とを持ち、その収集と保護に情熱を傾けた一族は、世界中見ても他にないだろう、と私は思います。
彼らがフィレンツェに、そして後世の世界にもたらしたものは、あまりに大きい。
もし皆さんがフィレンツェを訪れて、美しいと思うのなら、それはもうメディチ家の審美眼が間違っていなかったことの証明のようなものではないでしょうか?
アンナ・マリア・ルイーザに心から感謝の思いを込めて。
三回にもわたってしまったヴァザーリの回廊ツアーのお話は、これでおしまい。
あー、長かったー!
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teruzo13 (土曜日, 12 2月 2011 16:44)
ヴァザーリの回廊読み応えありました。一度は回廊を見学しメディチ家気分を味わいたいw。途中教会も通るのですね知らなかった。おもわず地図で確認。小ネタもいっぱいあり楽しめました。ありがとうございました。
coccoloblu (土曜日, 12 2月 2011 20:11)
teruzo13さん
ありがとうございます♪
長々書くと嫌がられるかなーと思ってたんだけど、意外と楽しんで読んでいただけたみたいで嬉しいです。
メディチ家の気分を味わいながらの回廊散歩、なかなか楽しかったです。
ムク (木曜日, 17 2月 2011 01:16)
読み終えて「はあああああああああっ」とタメ息をつきました!
行きたい!
行きたい!!
行きたい!!!
そして、もし行ったらcoccolobluさんの素敵なガイドをお願いしたいです♪
今まで読んだどのガイドブックよりも、楽しくてワクワクしちゃいました!
coccoloblu (木曜日, 17 2月 2011 19:37)
ムクさん
うわー、ガイドブックより楽しいなんて、褒めすぎです(#^_^#)
でも楽しんで読んでいただけたみたいで、とっても嬉しい!!
是非是非私のおもろガイドでいつかイタリアに来てください☆
Donald (日曜日, 22 7月 2012 13:16)
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